藤原田麻呂(ふじわらのたまろ、養老6年(722年) - 延暦2年3月19日(783年4月28日))は、奈良時代の公卿で左大臣。姓は朝臣。号は蜷淵大臣。参議藤原宇合の四男。母は小肆小治田朝臣功麿男牛の養女。兄に藤原広嗣、藤原良継、藤原清成、弟に藤原綱手、藤原百川、藤原蔵下麻呂がいる。
経歴
- 740年 兄・藤原広嗣の事件に連座して隠岐国に配流。
- 742年 許されて蜷淵山に隠居。
- 761年 従五位下に叙され西海道節度使となる。
- 763年 美濃守・右中弁・外衛中将に任ぜられ陸奥出羽按察使となる。
- 765年 正五位上に進み、外衛大将になる。
- 766年 丹波守・大宰大弐・兵部卿に任ぜられ、従四位下より従四位上に進み、更に参議に任ぜられる。
- 767年 右兵衛督に任ぜられる。
- 768年 右兵衛督