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夏の夜を涼しくするのは怪談だが、「幽霊」と「お化け」は似て非なるものらしい。幽霊は、うらむ相手をねらって出るそうだ。伊右衛門にたたる四谷怪談のお岩さんは、そのお仲間である。
鬼怪故事可以把炎炎夏夜变的凉爽起来,就像是『幽灵』和『鬼怪』这样一些似是而非的东西。幽灵,据说是专门作祟于所怨恨的对象身上。像作祟于伊右卫门的『四谷怪谈』的女主人公阿岩,就是它的同类。
お化けは土地や物に憑(つ)いて、誰が通りかかっても出る。井戸で皿を数える皿屋敷のお菊さんは、こちららしい。以上は、江戸風俗に詳しかった故・杉浦日向子さん監修の書に教えられた。もともと身元のおぼろげな方々ではあるが、言われてみれば、そうかという気もする。
而鬼怪却专门附体于土地或者物体之上,看到有人恰巧路过时就现身。在井边数碟子的器皿屋[怪异传说之一]的女主人公阿菊,就属于这一类。以上是在对于江户时代风俗极其熟悉的已故的,杉浦日向子女士所主编的书籍里了解到的。本来是来历不明的种种,如果那样说起的话,也会感到是的确如此。
親戚(しんせき)筋でもあるまいが、水木しげるさんの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の脇役に「ぬりかべ」なる妖怪がいる。その元の姿が、江戸時代の絵巻に描かれているのが、先ごろ分かった。夜道を歩いていると壁にぶつかったように進めなくなる――そんな悪さをする妖怪だと伝わる。
虽然不是亲戚们,在水木茂先生的漫画『ゲゲゲ的鬼太郎』的配角里有个叫做『鬼打墙』的鬼怪。在不久之前才刚刚知道,原来它的原形是取材于江户时代描绘的画卷里。在夜里走路时却像碰到墙壁上一样怎么也无法向前进,而做那些恶行的,传说就是鬼怪。
水木さんは、巨大な壁に小さな目と足を付けて、とぼけた味わいに描いた。絵巻(えまき)は獅子の体つきをして、三つ目に牙まである。おどろおどろしい風体は、古人がそれだけ怪異を恐れたからなのか。
水木先生在巨大的墙壁上画上了小眼睛和小脚丫,描绘出了那种朦朦胧胧的妙处。而真正的画卷上描画的鬼怪长着狮子的体型,还有三个眼睛和獠牙。透过那令人惊恐的形象,可见古人是多么害怕那鬼怪啊。
寂しい夜道は、遠く感じる。歩いてもなかなか着かない。その感覚が「ぬりかべ」の正体なのだろう。伝わる妖怪の数だけ、古来の暮らしや自然に根ざした「理由」があるようだ。
空寂无人的夜路,感觉很遥远。无论怎么走都走不到头。那种感觉应该就是『鬼打墙』的本来感觉吧。只是传说中的鬼怪,自古以来就根植于人们的生活和自然中,好像也有它的道理。
やわらかい感性ゆえか、「妖怪に出会う」なら子ども時代だと水木さんは言う。目的を持たず、ぼんやりするのがコツらしい。さて盆休み。田舎へ帰る子もいるだろう。都会と違う草木のそよぎ、夜の深さ。ゲーム機は置いて、妖怪に出会う夏も悪くない。
也许是所持的柔和感受性的缘故,水木先生说:要是『遇见鬼怪』的话,一定是在童年。漫无目的,朦朦胧胧的感受才是真正的秘诀。在盂兰盆节,也有回到乡下的孩子吧?在和大城市不同的草木沙沙作响的深夜里,暂时放下游戏机,和鬼怪来次偶遇的夏天也不错。
PS: 绿色部分意思不敢确定,请高人指点。