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2007年08月16日の「天声人語」

作者:未来215  来源:贯通论坛   更新:2007-10-11 19:42:02  点击:  切换到繁體中文

 

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戦没した人たちの思いが働いたのかと、時々不思議に思うことがある。終戦の日が、盆と重なることだ。迎え火、送り火、精霊流し。戦争の記憶と相まって、日本人の情念がいちばん深まるときであろう。


   
仿佛是阵亡将士的念想在冥冥中安排,时常有些事情会让人感到不可思议。停战日和盂兰盆节竟赶在了一起。迎魂火,送神火,灵魂飘飘(放河灯?)。和战争的记忆相得益彰,大概是日本人的感情最深沉的时候吧。

 いつもは静かな東京の千鳥ケ淵戦没者墓苑も、きのうは献花に埋まった。海外での死者のうち、引き取り手のない約35万人の遺骨が眠っている。今年は新たに、各地で収集された973柱が納骨された。だが、なお116万人もの遺骨が祖国の土を踏めないでいる。

    平日静寂的东京千鳥ケ淵的阵亡者陵园在今天也被献花所淹没。在海外的阵亡者当中,大约有35万没有领回遗骨的人长眠于此。今年,又从各地新搜集回了973具遗骨。但是仍然有116万人的遗骨不能踏上返乡之路。

 人の生きた証しは様々だが、骨は最も素朴なものだろう。南方の熱帯林で苔(こけ)むしていた、日本兵のしゃれこうべに、詩人の茨木のり子さんは胸を痛めた。〈生前/この頭を/かけがえなく いとおしいものとして/掻抱(かきいだ)いた女が きっと居たに違いない〉。

   人曾经生存过的证明虽然有很多,但是最原始朴素的东西就是骨头吧。在东南亚热带雨林中长满青苔的日本兵的骷髅,令诗人茨木のりこ女士痛心不已。(生前/把这颗头颅/作为珍贵无比,可爱的东西/紧紧抱在怀里的女子,一定存在过)。

 詩は、〈小さな顳●(こめかみ)のひよめきを/じっと視(み)ていたのはどんな母……〉と続く。昨日の全国戦没者追悼式に最高齢で参列した松岡コトさん(101)は、長男を亡くした。遺髪は届いたが骨は戻らず、母はずっと、無骨(むこつ)の墓に線香を立ててきた。

    诗,继续着,(把那小小的太阳穴上的囟门/一动不动凝神细看着的,会是怎样的一位母亲・・・)。在昨天的全国烈士追悼会上,以最高年龄出席的是现年101岁的松冈こと女士,她的长子牺牲了。尽管收到了儿子的遗发,但是遗骨却并未回来,母亲一直在没有儿子遗骨的墓前焚香祭奠。

 日本人ばかりではない。戦中、朝鮮半島から大勢が日本に動員された。日本で亡くなり、各地の寺や山野に見捨てられた遺骨は少なくない。帰してほしいと求める声が、韓国からも起きている。

    不仅只是日本。在二战中,从朝鲜半岛有大批的军士被调动到日本。并牺牲在日本,在各地的寺庙和山野被弃置不顾的遗骨随处可见,从韩国也发起了希望归还遗骨的呼声。

 〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ〉で知られる詩「骨のうたう」を書いた竹内浩三も、戦死して骨は帰らなかった。白木の箱の軽さに泣いた多くの遺族の無念も、戦争の罪深さとして心にとどめたい。

 (战死啊,悲伤/士兵的死亡啊,悲伤)写下这首著名的“咏骨诗”的竹内浩三,阵亡之后遗骨也没回来。想把对着空空如也的白木箱悲痛欲绝的那么多的遗属的遗憾也作为战争罪孽深重的证据永留心间。


 

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