永正の乱(えいしょうのらん)とは、戦国時代初期の永正年間に関東・北陸地方で発生した一連の戦乱のこと。
「永正の乱」と称しても、4つの戦いに分けて考える事が可能である。
いずれも原因こそ別々のものではあるが、越後の内乱の発端である長尾為景の謀叛の背景には為景の父・能景に神保慶宗救援に向かわせたものの、その慶宗の裏切りによって討たれた事件(般若野の戦い)がある。
越後の内乱による上杉顕定の戦死が山内上杉家の内紛の端緒であり、その対応で足利政氏親子の意見が割れた事が内紛再燃の原因となった。更に越後の内乱終結後の長尾為景の国内引締めの一環として神保氏討伐が位置づけられているため、これらの戦いは相関性の高いものであると考えられている。