国府台合戦(こうのだいかっせん)は、戦国時代に下総国の国府台城(現在の千葉県市川市)一帯で北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦である。天文7年(1538年)の第一次合戦と永禄6年(1563年)と7年(1564年)の第二次合戦に大別される(「第二次合戦」は近年まで同じ国府台で行われた2回の合戦を同一の合戦のものと誤解されてきたために1個の合戦として扱われている)。
国府台城は元々千葉氏の分裂の際、馬加康胤討伐に向かった太田道灌が築いたものとされる。以後、下総国の玄関口的な役割を果たすとともに房総方面から武蔵国に攻める際の橋頭堡の役割を果たす事になった(逆に言えば、政治的役割は非常に低い城であったとも言える)。