長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で行われた戦い。決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』、『信長公記』)だったため長篠設楽原(設楽ヶ原)の戦い(ながしの したらがはら の たたかい)と記す場合もある。
通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたとされるが、様々な論点に異論が存在する。