藤原広嗣(ふじわら の ひろつぐ、生年不詳 - 天平12年11月1日(740年11月28日))は、奈良時代の廷臣。藤原式家宇合の長男。母は石上麻呂(一説には蘇我石川麻呂)の女。 生涯朝廷において圧倒的な権力を誇っていた藤原四兄弟が相次いで亡くなった天平9年(737年)、従五位下に叙す。天平10年、大養徳(大和)守兼式部少輔となる。朝廷内では、反藤原氏勢力が台頭した背景のもと、同年、親族への誹謗を理由に大宰少弐に左遷される。 広嗣は左遷を不服とし、天地の災厄の元凶であるのは、反藤原勢力の要である吉備真備と僧の玄昉であるとの上奏文を朝廷に送るが、時の権力者左大臣橘諸兄はこれを謀反と受け取った。真備と玄昉の起用を進めたのは諸兄であり、疫病により被害を受けた民心安定策を批判するなど、その内実は諸兄その人への批判であることは明白であった。聖武天皇はこれに対して広嗣の召喚の勅を出す。 広嗣は勅に従わず、天平12年、弟の綱手とともに大宰府の手勢や隼人などを加えた1万余を率いて反乱を起こした。しかし大野東人を大将軍とする追討軍に敗走し、最後は肥前国松浦郡で捕らえられ、同国唐津にて処刑された(藤原広嗣の乱)。これによって多くの式家関係者が処分を受け、奈良時代末期には一時的には政治の実権を握るものの後世における式家の不振を招く要因の一つになった。 なお、新薬師寺の西隣に鎮座する「鏡神社」は藤原広嗣の怨霊を鎮めるために創建されたものである。 |
藤原広嗣(ふじわら の ひろつぐ)
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