藤原清河(ふじわら の きよかわ、慶雲3年(706年)- 宝亀9年(778年))は奈良時代の貴族。藤原房前の第四子。唐名は河清。従三位、参議。贈従一位。遣唐大使として入唐し、阿部仲麻呂と唐朝に仕えるも、暴風や安史の乱により日本への帰国は叶わず、在唐のまま没した。 経歴天平勝宝2年(750年)9月、清河は遣唐大使に任じられる。副使には大伴古麻呂と吉備真備が任じられた。天平勝宝4年(752年)閏3月、出発にあたり清河は節刀を拝し、正四位下に叙される。遣唐使一行は唐に到着して長安に入り、玄宗に謁し、君子人なりと称賛された。 天平勝宝5年(753年)1月、諸藩の朝賀に出席。日本の席次が西畔(西側)第二席で吐蕃の次であるのに対して、新羅が東畔第一席で日本より上席であったことに抗議し、新羅と席を交代させ、日本の面目を守っている。 同年12月、清河ら遣唐使一行は、在唐35年におよび唐の高官にもなっていた阿倍仲麻呂を伴い帰国の途につく。日本への渡航を望む鑑真一行が乗船を希望したが、唐が鑑真の出国を禁じたため清河は乗船を拒否した。しかし、副使の大伴古麻呂が独断で鑑真を自身の船に乗せた。 遣唐船は楊州を出航したが、清河と仲麻呂の乗る第一船は逆風に遭い唐南方の驩州(かんしゅう)(ベトナム)に漂着(井上靖の『天平の甍』では沖縄までは来たが出航時に座礁。その後遭難して安南に漂着したとある)。土人に襲われ、船員の多くが害され、清河と仲麻呂は僅に身をもって免がれた。一方、鑑真を乗せた第二船は無事日本へ帰国した。 天平勝宝7歳(755年)清河と仲麻呂に長安に帰着。清河は河清と名を改めて唐朝に出仕することになり、秘書監になった。 天平宝字3年(759年)清河を迎えるため高元度を大使とする迎入唐使が渤海国経由で入唐した。しかし、当時は安史の乱により唐は騒乱状態であったため、行路の危険を理由に唐朝は清河の帰国を許さなかった。 天平宝字7年(763年)日本では清河を在唐大使のまま常陸守に任じ、天平宝字8年(764年)従三位に進ませる。 清河は帰国できないまま在唐十余年に及び、宝亀8年(777年)次回の遣唐使が入唐したが、翌年、清河は唐で客死した。唐からは路州大都督の官が贈られた。清河は唐の婦人と結婚して、喜娘という娘をもうけていた。喜娘は宝亀の遣唐使に伴われて来日した。 宝亀10年(779年)贈従二位。承和3年(836年)贈従一位。 官職位階履歴
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藤原清河(ふじわら の きよかわ)
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